自分スタイルで生きる女性(第一弾)「ガブリエル•シャネル」

(自分スタイルで生きる女性特集として、以前HPに投稿したことのある記事を掲載しています。)
彼女ほど、ありのままの自分を世の中に表現した人はいない。
ガブリエル・シャネル(1883年~1971年)

二十世紀は、「女性が仕事をもち自由な女として恋人を選ぶ」ということが
できなかった時代。
当時のフランスの女性たちは、コルセットで体を締め付け床をするぐらいのスカートをはいて男性の機嫌を伺い、どういう男性とくっ付くかで彼女たちの人生が決まったといっても過言ではないくらい、男性社会だった。
孤児院で育ったシャネルは、そういった女性たちの立場に反抗し、
自由を得て絶対に仕事で成功してみせるという意思のもと、立ち上がっていく。
けれども、時代は1895年。たった独りでできる資金も環境もなく、 
孤児院での生活は、シャネルに「自由」というのを強く夢見させた。
そして、絶対に成功したいという野心、将来への夢、そして自由を切望していく。
環境が人を育てるというけれど、理不尽な環境は、周りから見ると不幸かもしれない。
でも、その現状から這い上がりたいと強く思うエネルギーこそ成長の種でもあると思う。
また、いつか叶ったらいいなあという物語的ではなく、
必ず自由になって見返してやるという決意があり、それを貫くために「傲慢」で居続ける在り方を生涯貫き通したシャネル。
二十世紀の時代に女として生きながら仕事を覚え、会社を立ち上げ、
誰よりも自由でいて恋人はこちらから選ぶという生き方は、
すべての女性の夢だった。
この時代社会的に成功するためには出生の身分が明らかになっていることが
条件だったけれども、シャネルは数々の出会う男性から援助をうけながら確実に実力をつけていき、最後はすべて返済し、自分で独り立ちしていく姿は、
今の男性から見てもたくましい生き方だと思う。
シャネルといえば、香水。 有名なのが、「NO.5」。
この発売がシャネルの商業的成功を決定づけることになった。
「香水は、本当の贅沢。その人の個性。自分にふさわしい香りを選び、
 ほのかに香らせるだけで印象が変わる。」(byシャネル)

かのマリリン•モンローも
「夜、何を着てねますか?」というマスコミの質問に対して
「シャネルのNO.5よ」と答え、シャネルの存在を世界に決定づけた。
あまり多く知られていないのが、シャネルのお金の使い方。
戦争があった時代のフランスで芸術活動が活発であったパリにおいて、
数多くの芸術家に出資をしていたそうである。
「お金を持っていれば、自分が愛している人々を、何か言うべきものを
 持っている人々を助けることができる。そして私が要求したことと言えば、
 誰にも知らせないでもらいたいということ」(byシャネル)

品性は階級ではなく、その人のお金の使い方にあらわれるという
シャネルのお金の使い方は、とても大胆。
たくさんのお金を使ったけれども「モノを所有する」ことだけには使わなかった。
いちデザイナーのシャネルが存在感を増していくとともに、
上流社会の人たちの間でも話題となり、
みんながシャネルに近づきたがるようになっていくという
この時代ではありえない状態になっていく。
シャネルは商人の社会的地位も上げたのだ。
まさに天と地がひっくり返った状態だったはず。
またこの時代の女性の男に依存した生き方にたいして、シャネルは強く批判している。
夫の地位や財産に依存して生きようとする女性たちのことは嫌っていたが、
シャネル自身も結婚を意識した時代があった。
一流の男たちとの華やかな交際があり、「恋多き女」といわれたシャネルだが、
結婚を強く意識したとき「悲劇」としか思えないできごとが続いた。
結果的には生涯独身でいることになったが、それを支えたのは仕事があったからだと思う。
仕事を持つ女性が男を選ぶとき。
それは自分の仕事の邪魔にならない男か。
自分と同じぐらい仕事が好きな男か。
または自分の右腕となってくれる存在の男か。
この中のどれかの要素が選ぶ男にないと、長く一緒にいることができないと
シャネルは言っている。
最後にシャネルの残した言葉で好きなフレーズを紹介します。
「二十歳の顔は自然がくれたもの。
 三十歳の顔は、あなたの生活によって刻まれる。
 五十歳の顔には、あなた自身の価値があらわれる。」(byシャネル)
   
「モードではなく、わたしはスタイルを作りだした。だから流行は変わるが
  スタイルは不変よ。」(byシャネル)

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激動な時代でありながらも情熱的で、
かつ過酷な人生の中たくましく自分を貫き通して生きたシャネルは、
生涯を通して他の人と自分を区別し、かけがえのない人間でいたいと強く願い続けた人。
女性として、シャネルの生き方はとても尊敬するけれども、
はたして自分が彼女のように生涯自分というのを
貫き通せるかどうかと言われたら無理だと思う。
少しでもシャネルに近づけることができるとすれば、
それは自分の生き方のスタイルを持つことができたときだと私は考えている。
シャネルが長い創作活動の末にきずいた永遠のスタイルは、
今も朽ちることなくシャネルスーツの中で生き続けているからこそ、
中途半端な気持ちではシャネルスーツを着ることはできないだろう。
私がシャネルスーツを買い、
自分に着てもいいよと許可を出せるのは果たしていつの時代になるか分からないけれども、
将来の目標としておきたい。
(シャネル株式会社は、現在もフランスの若手芸術家や歴史的な文化財の存続に援助している。)
                             essay:Fumiko Igo

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